自分の話

こんばんは ビューラックス代表 池ヶ谷です。
先日の勉強会では、コインを無作為に選び、その年代(平成〇〇年)の自分のエピソードを話しました。
目的はジョハリの窓の

「他人は知らない自分」

の話をし、自分も他人も知っているという窓を広げる為です。

凄く面白く、新たな一面が見れて距離が縮まったような感覚がありました。

なので、今回は私の

「他人は知らない自分」


をお披露目します。興味ないと思いますが、是非w


平成11年 小学校4年の私の話

皆さんこれ、知ってますか?



ツナピコって言う、まぁ酒のツマミの様なもの。
ツナフレークがちょっと塩っぱい醤油風な味付けで、癖になるヤツです。

親父のツナピコを4〜5個 ご飯にほぐし、お茶漬けで食べる。

これが私のアナザーフードです(笑)

結構貧乏だったんですよw
自分にとってはこれがマジなご馳走でした。

小学校4年の時に訳あって、親戚の家にお世話になりました。

育ててくれた婆ちゃんは昔の人だから、洗濯は毎日しない。
2、3日は大丈夫だと、洗濯物は返され、汚い体操着とか着るのを子供ながらに恥ずかしかったのを覚えてる。

婆ちゃんの弁当はいつも茶色い弁当。

でも多少、緑を入れてくれる優しいお婆ちゃんだった。


でも、こんな豆とか
ご飯の上にキュウイ乗ってて…
食べる時にはもう、ベチャベチャでw


そして、言葉が出なかったのが、オカズの代わりに

これだけw

流石に、言葉が出なかった。

でも、自分の弁当を友達が面白がり、「ジャンケンで負けたら交換」ってのを何人かでやって、負けた奴は俺の弁当食べるって言う罰ゲームw
だから、自分は割と人の弁当食べてたりして。

友達や周りには恵まれていた。


今思うと作ってくれるだけで有難かった。


私の父

たまに会うが、災いしか持ってこない奴。

もう数年前になるけど、いきなり

「お前より若い女房もらったぞ」

と自慢してきたw
多分、今は奥さんの故郷のフィリピンにいるんだろう、それから連絡がないから安心してる。

昔は辛かったし、コンプレックスだった事も今はネタになるw

以外でした?

なんか、悲しく話すと余計に惨めになるし、悲観してても仕方ない。
お涙頂戴なんて糞。

誰でもみんな恵まれた家に生まれたいけど、親や家族は選べないし。

配られたカードで勝負するしかない。

でも、今なら以外と自分に配られたカードはそんなに悪くなかったんじゃないかって思う

ネタになるしね(^^)

「他人は知らない自分」でした。

「ビューラックス」社長日記

(株)BEAULAX ビューラックス 美容業 日々、学び 楽しみながら仕事をし、シンプルに、「美容師を通した自分」を発信しようと思います。